2010年12月3日金曜日

従兄とのかなしい別れ



 12月1日6才上の従兄が、突然の死、日赤病院に搬送された時は、こと切れておりました。肝臓破裂でした。彼は、お父さんが満州鉄道でガス爆発で死亡、親父の顔も知らない。だから、私の親父と祖母が面倒を見ていました。中学時代までは、私ら7人が兄弟の様にして育ちました。私は兄貴のように大事にしてもらいました。忘れもしない戦後の食糧難の時代です。食糧をもとめて彼の親父の里であります鷲敷へ。自転車に幼稚園の私を乗せて。山道40キロメーター、みかんを拾いながら、またパンクの自転車は自転車屋さんにタダで直してもらいました。ついに目的地へ。里芋、ダイコンそして麦飯が少々混じったあついご飯、腹いっぱい。しかしなによりも遠い徳島から自転車でやってきたこと。帰りは、堀出さんに桑野駅から列車で丁重に返されまた。従兄の州ちゃんの寝姿をみながら、かなしくて懐かしい思い出にひたりました。(写真下は初七日)

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